World order の集団行動は見せてくれて、笑っていました。千手観音の動きが面白かったようです。お気に入りだったかな。
この二つの動画を量くんのVeohのマイページで見つけてから、あぁ間違っていたなぁと…自分の子育てが間違っていたとつくづく思った。
ほのぼのとしたさりげない発見を本当に大事にしてた子だったことは気づいてはいた積りだったけれど、
やはり全部、やりかたが間違っていたと思う。
一番欲していたそのさりげない幸せに何ひとつ応えてなかった育て方だった。
時間に追われて、買い物に行くにも自転車の後ろに、さぁ乗ってけ、スーパーに行ったらミニカー買ってあげるよとバタバタと連れまわってたっけ。それこそ荷物を分けて持たせることもなく、おつかいに出して現実生活でしくじったり怒られたりする経験もなくだ。
多分時間にとらわれず、手を繋いで歩いて買い物にいく、道々の野の花や蛙やザリガニを見つけて寄り道しながら、夕日がきれいだねぇとか立ち止まる…そんな時間の流れがこの子は好きだったんだろうなぁ
そのころ同じ保育園で一緒だった男の子の兄弟がいた。悪い事ばかりすると評判の兄弟だった。
でもその兄弟がよく母親と一緒に買い物カゴを半分ずつ持ち合って、長い長い川沿いやバス通りを、てくてくてくてく歩いているのを見かけた。二人の目はいつもキラキラして、荷物を投げあいながら、お母さんから叱られても楽しそうにくるくる走り回りながら母親の先にいったり遅れたりしていた。時々夕空見上げて三人で歌を歌っている事もあった。夏には買い物袋以外に蝉取りの網なんかを持って母親も虫かごを持っていた。
父親に捨てられたんだよと聞いていた。でも、いつもそうやって車にも自転車にも乗らず、歩いていく親子が何かしら眩しかった。多分量の目にも、その光景はやさしくうらやましく映っていたのかもしれない。
その子らはおそらく大学まで進学することは出来なかっただろう。
でもいつだったか、大きくなった弟の方が、スーパーで元気よくいらっしゃいませ~と元気に声をあげ、生き生きと走り回って、店長らしき人に注意をうけてもへこたれない明快さで荷物を移動させていた。社会の厳しさを母親からも、父親のいない家庭からも、いちいち教わることなく自分たちの中に観て取り入れてきたのだろう。でも、どんな忙しくともその母親はその子らと生活の中で一緒に歩く時間を見つけていた。子供の逞しさはそういうところで育てられていくんだろう。
その事をふと思い出した。
さりげない喜びを毎日少しの時間でも見つけて歩く事
自分はその大切さを見失っていた母親で
息子は母親から貰えなかったその大切さへの思いを失わずにいつづけたんだなぁと思った
そんなお気に入り動画だった